かなり無理してます、「清水映画祭」の上映作品鑑賞は。金曜日の夜にMovix清水に行ってきました。
余り邦題には興味がないというか、「これって違うんじゃない」と思ったりもしたことがないんですが、今回はちょっと残念に思いました。でも、この邦題でお客さんが呼べて、結果的に良い映画を観てもらえるんなら、いいのかなあと思ったりして・・・(^^ゞ。原題をそのまま訳してもOKなのは、大きな賞を獲ったり大スターが出ている作品ぐらいだろうしね。
でも、そんなことは関係無しに良い映画でした。
50歳の白人女性の新しい人生、新しい恋愛を描いた作品のように見えるけれど、この映画は彼女のこれまでの半生を描いた作品なんですね。
いままでも、こんな感じのアメリカの70年代以降のカルチャー・シーンの波に呑み込まれて、生きてきた人たちのドラマを、何回も観てきたような気がする。でも、主人公は男だし、どちらにしても野心家だったりして、「生き抜く」「生きる」「闘う」みたいなキーワードが要になっていたような気がする。例え弾き飛ばされたアウトローだとしても、カルチャー・シーンの真っ只中へ飛び込んでいく姿が、興味深く描かれていた気がする。
この映画の主人公ピッパは、これまでなら、まさにそんな映画の主人公を取り巻く女性の中の一人であって、単なる彩りみたいな扱われ方をされていた女性だったように思う。
私は、この作品を観ていて、とうとう、彩りでしかなかった女性が主人公の映画が現れたと思って、何故か嬉しくなった、心の中でニヤニヤしていた。
彼女には人にはなかなか言えない過去があって、50歳になるまでベストセラー作家の良き妻・二人の子供の良き母親であった。精一杯、そんな姿で生きてきたんだろう。きっと演じていたわけではないけれど、疑問を持つこともなく、正しい選択として全てを受け入れていたんだろうと思う。
そんな環境が突然音を立てて変化していく、結婚のキッカケだった同じことが、もう一度起こる。今度は立場が違うけれど、その境目がたまたま50歳と言う年齢だっただけ、それも自分からではなく、夫が原因で。
与えられたものを受け入れる生きかた。自分から選んで前に進む生き方。新しい恋愛は、そのキッカケでしかない。だから、この映画に描かれている恋愛は、ほんの少しだけで、殆どは彼女の過去。夫と出会うまでの若い時代の彼女が描かれている。そう、彼女を彼女としてあらしめているもの。
本当の自分に出会うために、この映画では、彼女は自分自身を見つめなおすために過去を語っていたのだろう。夫との生活が、何もなかったかのように、あっさりとすんなりと、違う方向の前を向くピッパ。
観ていて、なんともホンワカ嬉しくなった。応援したくなった。そして、余りに素直な選択を清々しく感じた作品だった。