
アニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』を原案とした作品。
監督が、「アニメを観てラストは涙が止まらなかった、ぜひ実写化したかった」と、話しているのをテレビで知り、興味を惹かれました。
基本的に、現代の小学生の男の子が戦国時代にタイムスリップして、戦国時代のお姫様と武士の悲恋にからむだけなんですが・・・・。
クレヨンしんちゃんの視点で見た戦国の悲恋は、究極の「悲恋」として目に映るんだろうと思います。
「悲恋」が、異様にノスタルジックに、倍化されて、とってもピュアなものに見えてきても、なんら不思議ではない気がします。
戦国時代の悲恋は、すでにテレビや映画で、何度も見てきているので、それ自体は珍しくもないけれど、クレヨンしんちゃんというフィルターを通せば、またそれは別で、全ての出来事が際立ち、美しく見えるんだろうなあ、とは思います。
で、問題なのは、この実写作品にはクレヨンしんちゃんが出ていないということです。
悲恋を盛り上げる(?)には、ただの小学生の男の子では役者不足の感があります。強烈な個性の、傍若無人なクレヨンしんちゃんだから出来た、離れ業には頼れない作品なのです。

となると、この作品の完成度は、主人公となる井尻又兵衛と廉姫の悲恋を、いかに監督が料理するか、いや演出するかにかかってくるんですが、ハッキリ言って、この監督では力不足のように思います。
時代劇は、ハードルが高すぎます。『ALWAYS 三丁目の夕日』では、昭和の時代を上手に処理できていたように見えた山崎貴監督も、ちょっと、勇み足だったように思います。
『ALWAYS 三丁目の夕日』も、実は映画作品としては高評価していない私ですが、『ALWAYS 三丁目の夕日』は監督のウソに乗ることによって、得られる映画の楽しみが溢れていた作品だったし、騙されたフリをすることによって、感動が倍増する映画なので、私もそのニセモノ然とした昭和を、喜んで享受したのでした。そう、乗ったもん勝ちです。
この作品は、現代と戦国時代を結ぶ作品なんで、戦国時代をいかにリアルに、いかに生き方や思想をもっともらしく、際立たせるかが勝負だと思います。
ラスト近くに、香川京子 演じる老女・吉乃が、新垣結衣演じる廉姫が手を振るとき、着物の袂を押さえるように、制止します。
そう、これなんです。こういった細かいディティールの積み重ねを、随所に、これでもかと詰め込まなければ、この映画は、盛り上がらないのです。「えっ、この時代って、そうなんだ」が、どれだけ伝わってくるかが、不思議と感動の素になっていたりするんです。
戦国時代が、テーマパークのアトラクションであってはいけないのです。リアルに描いてこそ、悲恋が美しく、胸を締め付けるのです。
アニメとは、省略の芸術でもあります。クレヨンしんちゃんでは、全く気にならなかった細かいディテールも、全く気の付かなかった展開のハショリも、アニメだからこそ、いやクレヨンしんちゃんだからこそ、須らくOKだったりするのです。
でも、その反対に実写では、手を抜いたら、それが命取りになります。
監督は、その点を無視しているように思えました。
いえいえ、合戦シーンとかのハデな部分ではお金をかけて、頑張っているんですよ、確かに。
しかし、そこじゃないんです。『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいに、懐かしげなレアな、その時代のアイテムを画面のアチコチに置いておけば、誤魔化せるというわけにはいかないんです、時代劇って・・。人間がそこで生きている、息遣いが伝わってこなければ・・・。
SFとか、タイムパラドックスとか、いざとなれば、映画を楽しむためには、そんなもの簡単に目を瞑ってしまう私です。^_^;
でも、出所も知れない異様な風体の「人」や怪物みたいな「物体」や光を放つ「モノ」に対して、昔の人はあんなに寛容なのかなあ、って部分が、とても気になりました。
・・・・ってのも、おとな気ないのかもしれませんが。(~_~;)
[Trailer/予告] BALLAD ~名もなき恋のうた~ (9月5日公開)